遠藤保仁選手は三兄弟の三男として鹿児島県に生まれました。
そして兄二人の影響でサッカーを始め高校時代には全国大会で活躍するなど一流のサッカー選手への道を歩き出しました。
そしてJリーグ横浜フリューゲルスからオファーがあり入団しました。
その後、遠藤保仁選手は京都サンガ、ガンバ大阪へと移籍をしました。
そして2006年ドイツワールドカップの日本代表メンバー入りを果たすも、ゴールキーパー以外のフィールドプレーヤーの中で唯一出場機会がなく、屈辱を味わいました。
しかし遠藤保仁選手は、その悔しさをばねにその後の日本代表で不動のボランチとして君臨しました。
そして2010年の南アフリカワールドカップでは主力メンバーとして出場し、グループステージデンマーク戦でフリーキックから得点を決めるなど日本代表をベスト16位に導く活躍をしました。
2014年のブラジルワールドカップでは、日本代表は惜しくもグループステージ敗退でしたが2大会連続で主力として活躍しました。
遠藤保仁選手は、日本代表国際Aマッチ出場数で1位の記録を持っており150試合出場している。
また、その後日本代表メンバーには年齢から出場は見送られているものの、所属チームではいまだ主力として活躍し続けています。