昨年、25年ぶりの優勝を果たした広島東洋カープ。
その大躍進と赤ヘル旋風が列島中を駆け巡ったことにより、2月から始まったキャンプに多くの取材陣が訪れ注目を集めている。
伝説となった黒田博樹が引退したものの、解説者陣はそろって関係ないと言う。
ベテラン勢では最年長の新井貴浩が残っている。
新井・黒田という英雄即伝説となった二人が先陣を切ったことで、25年ぶりの優勝を果たしたものの、惜しくも逃した33年ぶりとなる日本一を勝ち取る決意を新井は「赤い心」で燃えている。
中でも注目なのが若手である。
日本一の守備と称されるのが菊池涼介さらに先頭バッターの田中広輔がいる。
二人ともWBCで日の丸を背負う選手に選ばれた。
特に私がというか世間が最も注目しているのが、昨年「神ってる」で話題となった流行語大賞となった同じくWBCで活躍を見せた鈴木誠也である。
昨年、彼の大活躍は「神ってる」と言われたように凄まじいものがあった。
中でも6月17日、6月18日とせパ交流のオリックス戦において二試合連続となるサヨナラホームランを放った。
その後も、打率、ホームラン共に量産している。
更に外野手としてもすぐれた守備力を備え、足もある。
まさに“走攻守”三拍子がそろった選手である。
彼の大躍進に対して、一部のカープファンの間では2013年に引退した前田智徳が背負っていた背番号「1」を受け継ぐのに相応しい選手だという意見が上った。
今、鈴木誠也が背負っている背番号は「51」。
イチローと同じ背番号だという意見が多いと思うが、実は前田が入団当初に背負っていた背番号が「51」だったのである。
イチローが前田を尊敬していたのは有名でそれに関係して「51」を選んだという説もある。
前田はその後「31」、「1」へとなっていったのである。
私自身はカープの選手の中で前田が一番好きだった。
前田は天才バッターと落合、長嶋、イチローなどが認めていた選手であったが、1994年にアキレス腱を断絶し、怪我との戦いを余儀なくされる選手生活となる。
その怪我により、試合に出られない年もあった。
選手生命を賭けた壮絶なる闘争であったに違いない。
それらの苦闘を超え、2007年に2000本安打を達成した。
そして選手からもファンからも愛された前田智徳は2013年に引退したのである。
なぜ前田が愛されたのか?
それは壮絶な闘争の中、必死にもがきながら、前進しゆく生き様を知っているからだ。
何より前田自身、誰よりもカープを愛していた。
2000本安打達成のヒーローインタビューでも自分のことよりチームであった。
なかんずく引退試合となった2013年10月3日のインタビューにおいて、カープの未来が、カープの新時代が明るいことを願っていると語った。
何より前田が引退した年、Bクラスが続いたカープが3位となったのである。
自分が引退する瞬間まで、若手を引っ張りながら走り続けてきた前田。
この行動ありて今のカープの躍進があると思う一人である。
この男前田の生き方にカープファンや野球ファンのみならず惚れた人も多いに違いない。
前田は永久欠番にはなってはいないのだが、背番号「1」を「しばらく休ませたい」と述べていた。
監督となった緒方孝市が背負っていた背番号「9」を丸に、前監督の野村謙二郎の「7」を堂林にと受け継いでいる中でいよいよ背番号「1」を譲り託すのか・・・。
個人的には1は前田のものであり続けてほしいと思うのだが、前田が鈴木誠也に託すというのならそれが一番正しいことである。
何より鈴木誠也の活躍は目を見張るものがあり、すごい選手だ。
2連覇そしてた33年ぶりとなる日本一を目指して前進しゆくカープの若手たちに私は前田智徳が引退の際、現在メジャーで活躍するマエケンこと前田健太に贈った言葉を贈りたい。
「怪我だけには気をつけて」と。